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「ハロウィン? ハロウィン! その10」

「…………」
「ほら、早くしないと遅刻」
「でも……いいのかな。勝手に動かして……」
「勝手も何も、今は自分が壮士なんだから、問題なし」

続き
 シルビアの運転席に座る瑞穂は、ひどく緊張しているように見える。
 確かにまあ、瑞穂が俺の車を動かしたことはないが、運転の腕前は知ってるだけに躊躇することねーと思うけどな。
 だが、ようやく意を決したようで、セルを回すと普段と同じエンジン音が響いた。
「…………」
「ん?」
「……ふふ。こうされるの、すごい好き」
「っ……」
 ギアをバックへ入れ、助手席のシートへ手を回そうとしたところで、瑞穂が頭を撫でた。
 目線の高さが違うため、俺が見上げる格好。
 きっとすることのない柔らかな笑みを向けられ、思わず口をつぐむ。
 まあもっとも、理由はそれだけじゃねーけど。
「壮士さんには、全部見えてるんだね。なんか、恥ずかしいな。普段ひとりでにやけてるのも、気づかれてるんだろうなぁ」
 ご名答と言いたいところだが、にやけてるってより、単純に嬉しそうの間違いだろ?
 助手席に乗っているときの瑞穂は、車が好きなんだなーってより、俺といることを心底喜んでくれている顔をするから、とても楽しいし嬉しい。
 だから、もっとそばにいたくなる。
 そうしたら、違う顔も見せてくれるからな。
  「子ども扱いなんかじゃなくて、私にはどれも特別扱いなんだよね。すごい嬉しいの」
「……へえ」
「へえって……知ってるでしょ? 私なら」
「ああ、そりゃまあ」
 へたすると口調が“俺”になるため、どうしてか小声になっていた。
 それを了承と取ったのか、瑞穂はそれ以上何か言うことはなく、俺とは違ってなめらかなシフトチェンジをしながら学校へと車を走らせた。

「あーらあらあら。やーねーちょっとー」
 いつもと同じ朝の風景。
 ばっちり職員玄関横に付けたMR-Sから降りてきた小枝ちゃんは、声高にこちらへ歩いてきた。
「ちょっと。同伴出勤するんじゃないわよ。馬鹿なの?」
 あ、とは思っただろう。
 だが、瑞穂は口に手を当てると苦笑のみ返す。
「だいたいねぇ、鷹塚君はいつもそうなの。そーやって、いっつも自分のことしか考えないじゃない? だからダメってゆーか。この間だってそうじゃない、瑞穂ちゃんのこ――」
「小枝ちゃん、おはよう」
「…………ん。んん? んっ!?」
 つかつかと歩み寄るなり持論を展開し始めた小枝ちゃんと、瑞穂の間へ割って入ると、まじまじ顔を見つめてから――急に引き寄せられた。
「うっわ!」
「どーよ鷹塚君、うらやましいでしょー。んふふ、一歩どころか100歩くらいリードね!」
 寸でのところですり抜け、なんとか胸にぶち当たる前に逃げ切る。
 あぶね。
 そーゆー趣味ねーんだわ、わりーけど。
 てか、俺とほぼ身長一緒なだけあって、瑞穂とそこそこ差があるもんだな。
 こうしてふたり並んでるのを見てると、でかくて妙な威圧感。
 近づきたくねぇ。

「あなたは“さん”づけだけど、私は“ちゃん”よ? 勝ったわね」

 まるで勝ち誇ったかのように、小枝ちゃんが笑った。
 途端、瑞穂が目を丸くする。
 そうなんだよ。結構そこ、重要だぜ?
 女同士だからってのもあるんだろーけど、タメだしあんなことやこんなことまで許してもらえてるくせに敬称が崩れないってのは、なかなかに切ないもんなんだ。
 ずばっとどストレートに指摘してくれて、サンキュ。小枝ちゃん。
 まあ、願わくば瑞穂が妙な方向に傷つかないことだけ祈るけどな。
「敬語もそうだけど、敬称付きってちょっと距離を感じるじゃない? 仲良くしてるし、ほとんどタメ口なのに名前だけさん付けって」
「そう……かな」
「そーよ。てゆーか、なあに? 今日の鷹塚君、借りてきた猫ならぬインコみたいにおとなしいけど。具合でも悪いんじゃないの?」
 まあそう見えるだろうよ。
 ただでさえおとなしいってのに、小枝ちゃんの言葉で一層おとなしくなっちゃってんだから。
 これ以上やりとり続けても、いい方向にはまあ転ばないよな。
「行こう壮士」
「あ、わっ……」
 逃げ出した小枝ちゃんから、“俺”の腕を取って職員玄関へ向かう。
 そのとき背後で『なあに? 中身入れ替わったみたいね』なんて鋭いツッコミが聞こえたが、当然スルー。
 せっかく瑞穂が信じてくれてるんだから、わざわざほかの可能性を入れる必要はない。
「そっか。距離を感じるんだ」
 職員玄関の、靴箱前でぽつりと瑞穂がつぶやいた。
 普段使っている場所とは異なる、靴箱。
 『鷹塚』と書かれた靴箱を指先でなぞる。
「壮士」
「っ……」
「さん、かな。やっぱり」
「なんで呼び捨てじゃないわけ?」
「だって……こだわりなんだけどね。“捨て”ってなんだかひどく嫌な気持ちなの。大事な名前なんだもん。子どものころは、絶対口にできない名前だったから、余計にそう思うのかな」
 靴を入れた瑞穂が、苦く笑う。
 申し訳なさそうな顔で、“俺”らしくも“瑞穂”らしくもないと思った。
「“先生”だった人を、“さん”って呼べるようになったことだけでもすごいことなのに、名前を呼び捨てなんて……嬉しいのに申し訳ないっていうか、いいのかなっていうか……」
「じゃあ、もし本人に言われたらどうする?」
「え?」
「壮士さんじゃなくて、壮士って呼んでほしいって言われたら」
 中履きが床をこすり、音を立てた。
 見た目はそれこそ、いつもの俺そのもの。
 中身が違うのは俺しか知らない。

「努力する」

 そう答えた顔は、瑞穂らしく感じた。

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