「降ってきましたねー。先輩! 雨ですよ、雨!」
「……うるせーな。だからなんだ」
「なんだじゃないですよ! やっぱり6月6日は雨が降るんですね――あいた!」
「だからなんだ」
「だ、だからその……あの……」
「…………」
「う、うぅううぅぅえぇえええん! そんな怖い顔しないでくださいよぉっぉおお!!!」
「だったら、ンな楽しそうに言うな」
くるりと回した赤ペンを握り直し、改めて花山にため息ひとつ。
そもそも、雨が降ってるかどうかくらい、見なくてもわかるっつの。
さっきから、ざーざー音してんだろ。
俺のすぐ後ろに窓はあるが、軒下がかなりあるため、直接雨が降りかかることはない。
それでもわかる、この音。
……ほんと、雨ざーざーだな。
「あ」
丸つけを終えた家庭学習ノートをもって職員室から出たところで、小さな声が聞こえた。
小さいのに、ある意味響きでもしたせいか、意識は当然そっちへ引っ張られる。
まぁ、誰の声かわかったから、ってのもあるだろうが。
「雨だと薄暗いよな、ここ」
「ですね。それに、廊下も滑りやすくなっているので……ちょっと危ないですね」
「転ぶなよ?」
「大丈夫です」
相談室のほうから歩いてきた瑞穂が、すぐ隣へ並んだ。
にっこり笑って見上げられ、それだけでちょっと嬉し――つーか、この場が明るくなるっつーか。
普段、児童がそうそう行きかう場所でないこともあり、ほとんど廊下の灯りはつけられてないが、こういう雨の日くらいはつけてもいいと思うぜ?
薄暗いというより、もっと暗い場所だもんな。ここ。
何かを幽霊と見間違う可能性だってありうるほど。
「次の時間、調理実習なんですか?」
「お。よく知ってるじゃん。おやつ作りがテーマなんだけどな。ただ、きちっと予告したにもかかわらず給食のお代わりした連中が多いから、どんだけ食えるか怪しいとこだけど」
今日はごはん食。
小あじの丸揚げ、ニンジンのしりしり、肉団子と春雨スープというそこそこがっつりなメニューだったが、いつもお代わりで立ち上がる男子陣は、当然のように食ってたんだが……たしかアイツらの班は“生クリームもりもりワッフル”とかじゃなかったか。
うわ。考えただけで、胃が痛くなる。
「作るんですか?」
「誰が?」
「……壮士さん、も」
「っ……」
その瞬間的な表情がいかんともしがたいんだが、どうするよ。
上目づかいで、どこか照れたように名前を呼ばれ、妙な声が出そうになって口を結ぶ。
お前、そういう顔するなよ。
つーか、慣れろ。そろそろ。
第三者の目があるってことを意識してても、手が出そうになるだろが。
「作らないけど、試食と写真要員だな」
「ふふ。楽しそうですね」
「お、来いよ。小枝ちゃんがメインで動くし、子どもたちもテンション上がる」
「いいんですか?」
「ああ。なんなら、声かけてやるよ。俺も、あと……そうだな。20分くらいしたら行くし」
「じゃあお願いします」
「おー」
抱えたノートを逆の腕で持ち、ぺこりと頭を下げた瑞穂の髪へうっかり手を伸ばす。
そこで気づいたが、まばたいてる顔を見たまま……当然のようにふわりと手が着地。
「……そ、壮士さん……」
「補給」
「え?」
「生クリームより何より、このほうがよっぽどやる気出る」
困ったような顔をしたのはわかったが、それでも頭を撫でてから頬に触れるのは忘れない。
そーそ。そーゆー顔してくれちゃうから、だぞ。お前。
「あー、もーちっとがんばるか」
「ですね」
大きく伸びをし、改めてノートを抱えると、瑞穂もくすくす笑ってうなずいた。
「あ、そうだ。今朝、サンキュ。遅くなったな」
「いえ、そんな。……ふふ。喜んでもらえてよかったです」
今日は俺の誕生日。
当然把握してくれていた瑞穂は、朝飯を作りにわざわざきてくれた。
だけでなく、一緒に摂り、片付けもしてくれて――……あとひとつ、ふたつ、みっつくらいか。
「……うまかったぞ」
「よかったです」
「…………」
「……? 壮士さん?」
「メシのあとのほうが、よっぽど」
「っ……!」
ちょいちょい、と手招きをしてあえて耳元でささやくと、ようやく意図を把握してくれたようで、恥ずかしそうに口を結ぶと視線を逸らした。
頬が赤くなってますけど、葉山センセ。
ぶっちゃけその顔、めっちゃかわいいんスけど。
ああ、そういや今朝、キスからちょっと先までいただいたときも、そんな顔してたよな。
でも、俺はそのとき言っただろ?
「ンな顔してると、止まんなくなる」
ぼそり、とささやいてから頬へ口づけると、予想以上に濡れた音が響いて驚いた。
が、今日はさいわいなことに雨模様。
この濡れた音を掻き消してくれるには十分だ。
……雨もたまにはいいかもな。
顔を赤くして唇を噛んだ瑞穂を見ながら、小さく笑みが漏れた。