今日が何度目か忘れそうになるぜ……。
これだから、たまに更新する人間は!!
******************
「ッ……!! 無理だ!」
「えーなんで? 私、自分とキスするとか全然おっけーなんだけど」
ふいに近づく自分の顔を、思わず両手で押し返すと、不満げなというより、きょとんとした顔で首を傾げた。
頼むからその仕草はやめてくれ。
「それは、穂澄がきちんと自分を好きでいるからだろう!?」
「里逸は違うの?」
「う……正直、自分の顔も……性格もそこまで好きではない」
「えぇえぇえ! なんで!? みんなフツー自分大好きでしょ!」
「そうでない人間も大多数いる!」
普段穂澄がするならなんとも思わない、唇を尖らせる表情。
だが、自分が……しかもいい年した大人がすると、こんなにもぞわりと身がよだつとは。
なるほど、穂澄は自分が好きなのか。
まあそうだろうな。何をするにも自信があって、どんなときでも楽しそうに過ごす。
先日も、ネイルをきれいに塗ることができて満足だと、それはそれは嬉しそうだった。
……この爪だ。
今、自分が“入っている”と表現していいのか悩ましいが、この身体は間違いなく穂澄のもの。
どこもかしこも柔らかくて、肌のきめの細やかさが違う。
顔を洗ったときも、鏡に映る姿を見て、改めて自分と違う造りに時間を忘れそうだった。
「小さいころから、言いなりで育ってきた。それが正解だと信じてやまなかった。理屈でねじこまれて、正しいと信じこまされてきた。本当は違うことがしたかったし、自分らしくふるまってもみたかった。だが、大きく鳴ってから気づいたんだ。“自分”はなんだ? と。そもそも自分なんていなかった。あったのはただ、刷り込みで“作られた自分”だったんだ」
幼いころは、親の姿が大きく見えた。
恐怖の対象でもあった。
母はいつも口うるさく、『こうすればいい』と指示を与える。
だが、それらはいつも正論すぎて反論できず、従わざるを得なかったというよりも、『そうだな』とどこかで納得して生きてきたんだろう。
だが、友人らの生き方をいいなと思ったことが何度もあったし、何より、穂澄の生き方を見て羨ましいとも思った。
自分に素直でいる。自分のしたいことをする。
度が過ぎれば我侭になるが、ある程度は正当な権利。
それが自分にはできなかった。
「ねえ。里逸は朝ごはん、何が食べたい?」
「……何?」
「私はねー、せっかくだからできたばかりの喫茶店でモーニング食べたい」
いつも穂澄がするように、頬から顎へと指を当てた。
ただし、仕草をしているのは自分。
似合わないどころか、やはり悪寒めいたものが身体を走る。
「ね。何が食べたい?」
「……別に……なんでも……」
「へえ珍しい。里逸がそんなこと言うなんて。あっれー? もしかして、“私”になっちゃった?」
「そんなわけないだろう」
けらけらと笑った穂澄が、ふいに頭へ手を置いた。
自分のものだとわかっていても、妙に大きく感じる。
ごつごつとした、穂澄とは違う手。
力なぞ入っていないだろうに、力強くも思う。
「里逸が里逸だから、好きになったんだよ」
「っ……」
「今日はごはんがいい、明日はパンがいい。しかもパンは厚切りのトーストじゃなきゃダメで、目玉焼きもちょっと固めが好き。ついでにコーヒーはブラックって言うのかと思いきや、ブラックも飲むけどキャラメル薪アートが大好きで、甘いものが好きなのかなと思えば一切食べない。そういうの全部、里逸でしょ?」
「それは好みの問題だろう。性格とは違う」
「すごく真面目で、カタブツで、きっと一切遊んでこなかったんだなーと思いきや、鷹塚センセみたいなやんちゃな友達がいて。口ではどうのこうの言うくせに、この年になっても一緒にいるのは心地いいからでしょ?」
「違う」
「違わない。里逸は少し、真面目すぎるんだよ。小さいころからあのお母さまに育てられて、いろんな経験して、でもよかったって思うことのほうが多いはずだよ? 必死に勉強することもなく“できる”子だったんじゃないの? そりゃ、ガリガリやらされたときもあっただろうけど、でもさ、今は違うって思ってるわけじゃん。それって立派な自我なんじゃないの?」
自我。
言葉に出されればなんてことないもののように思うが、とんでもない。
そんなものは俺に一切なかった――のか、本当に。
子どものころ、確かに母の言うことは絶対だと思っていた。信じてもいた。だから従った。
しかし、すべてがすべてそうだったわけではない。
日々の習い事が面倒になり、遊びを優先するために嘘をついたこともあった。
無論、すぐに見つかってこっぴどく叱られたが、それでも……あのときは妙な達成感のようなものも、確かにあった。
してやった、とわずかながら思ったような気もする。
「嘘をつくのが嫌いで、つかれるのはもっと嫌いで。生徒からは『あの先生ってホント厳しい』とか『甘くない』とか言われるほど実直で、曲がったことも大嫌いで。ネクタイがぶらぶらするのが嫌だって理由で、タイピンきっちり付けて、夏でも長袖のワイシャツ着て。それこそ、不真面目なんてありえないって人なのに、こんな私を好きになってくれたじゃん。最初はあんなに嫌いだっただろうにねー。あはは、思い出したら懐かしいなー。あのころの里逸、今と全然違う」
「それは……穂澄と出会って……」
「出会って3年目にして、関係が180度変わったんでしょ? 私が里逸の隣に越してこなかったら、変わることなくお互い別の道歩いてたかもよ?」
今からもうかなり昔になる、穂澄の高校時代。
確かに俺は、宮崎穂澄をとても苦手に感じていた。
いつでも“自分”を持っていて、やりたいことをすぐ実現させて、平気で他人を巻き込んでいく。
……ああそうか。
俺が穂澄を嫌いだったのは、俺と正反対だったからなんだな。
なんでも我慢して、自分を出せず、出さずに生きるのが正解だった俺にとって、あまりにも彼女は眩しすぎて、羨ましかったんだ。
「私を好きになってくれたのは、間違いなく“里逸”だからだよね? 私が好きになったのも、“里逸”だよ。誰かの真似なんて絶対しない、確固たる信念と自己を持ってる、高鷲里逸その人。もしも里逸が鷹塚先生みたいなタイプだったら、好きになってなかったかもしれない。本気で振り向かせたいって思わなかったかもしれない。馬鹿がつくほどまっすぐで、正直で、1ミリも嘘がない里逸だから、どうしても私だけを見てほしくなったの」
大きな腕が、身体を引き寄せた。
普段、俺がしていることを、穂澄はこんなふうに感じているのか。
抱きしめる。
何よりの愛情表現で、かなりストレートな方法。
だが、こんなにも落ち着き、安心するものだとは正直思わなかった。
無論、穂澄が俺にすることもたびたびあるが、大きさが違う。
すっぽりと身体ごと包まれて、自然と目が閉じた。
「大好きだよ」
耳元で聞こえるのは、聞きなれない自分の声。
それでも、普段の穂澄がしゃべっているように聞こえたのは、“俺”がそうさせたんだろう。