「里逸の目線って、いつも見てるのと全然違うからおもしろいねー。たくさん人がいても気にならないって、すごい得な感じじゃない?」
「……それはよかった、なっ」
「あれ。だいじょぶ?」
「少しテンションを抑えろ。その調子で歩かれては困る」
手を握ったまま大きく振られ、転びそうになる。
歩幅を考えたらどうなんだ。
いつもと違い、まったく気遣われない状態ではこっちが振り回されるだけ。
そう考えると、無意識のうちに普段は自分が調整しているんだなとよくわかる。
「あー、かわいい。ほんっと、かわいい。今日の穂澄はかわいいなぁ」
「……やめてくれ」
「なんで? すっごい楽しいんだもん、しょうがないじゃん」
だったら、せめて笑いを含みながら言うのだけはやめてくれ。
というか、そのセリフはすべて俺ではなく穂澄に向いているのだと思いたいんだが、となるとつまり自画自賛というか……なんだ。どうすればいい。
いつもの穂澄らしい格好と化粧までばっちりされたうえに、歩きにくい靴まで履かされる始末。
穂澄曰く『低い靴』らしい5センチはあろうかというヒールは、心底歩きにくくて車から降りるだけでも2度ほど足をくじきかけた。
よく平気だな、こんな靴を履いて。
それどころか、よくよく思い返してみると、こんな靴でも穂澄は走っている気がする。
どういう身体能力をしているんだ、本当に。
「次、どこ行く?」
「……その前に、まずポケットから手を出せ」
「えーだってなんか、落ち着かない? ぴたっとして、ハマるっていうか」
当然といえば当然なのだが、穂澄は穂澄らしい……ああややこしいな。
今隣を歩いている“俺”は、普段の自分とはまったく異なる格好をしている。
言うなれば、ソウがしそうな格好に近いとでもいうか。
絶対に着ないような服の組み合わせなうえに、この態度。
そもそも俺は、ジーンズをほとんど履かないと言っただろうが。
緩んだいでたちに、もはや頭痛すらする。
このショッピングモールへ来たときは自前の服を着ていたのだが、穂澄は迷うことなくひとつのショップへ入ると、あっという間に会計どころか着替えまで済ませた。
それがコレだ。
自分は絶対に入らないような店を選んだ時点で頬がひくついたが、出てきた姿と店員からの言葉に『どーも』と笑ったのを見て卒倒しそうになった。
もちろん髪型もいつもとは違い、なぜやり方を知っているのか非常に疑問でしかなかった。
どうしてそんなことができるんだ。誰で練習したんだとききたくなったが、『テレビ見てればできるじゃん』と何も聞いてないのに言われ、黙るほかなかった。
「ふふ。いつもこんな感じなんだ?」
「何がだ」
「手をつないだときの感覚っていうの? てかさ、なんでそんな不機嫌なわけ? もっと楽しめばいいのに。“私”を」
「っ……そういう顔をするんじゃない!」
普段穂澄がするように目を細めて笑う様は、俺がやるとひどく悪い男のようにしか見えず、いつもと同じセリフが出た。
チャラチャラというか、軽そうというか、頭が悪そうというか。
普段と違い、まさにありえない格好であり姿すぎて、楽しそうな穂澄をよそに気持ちがずんずんと重たくなる。
よくいえば公私の区別がきっちりしていると思われるだろうが、悪くいえば羽目を外し過ぎだ。
こんな姿、生徒や保護者に見られませんようにと心から願うほかない。
「あ」
「……今度はなんだ」
「あの口紅、試したかったんだよね」
「なッ……待て!」
呪文よりもよほど威力のある、言葉。
にっこり笑った穂澄は手を取ると迷わず、比喩でもなんでもない、きらきらとまぶしいショップへ入った。
鏡が多く、アクセサリーの類まで置いてある店内は、かなりごちゃごちゃとしていて狭い。
そんな空間には女性が多くおり、皆一様に化粧品のサンプルやらなにやらに手を伸ばしていた。
「場違いだろう」
「何言ってんの? 場違いなのは、俺」
「……楽しみすぎだ」
俺の身体だぞ、と言いかけて口をつぐむ。
ほかの客は“女性”が化粧品に手を伸ばしているのに、我々は反対。
まったく気乗りしないことが顔にも出ているらしく、穂澄は『私そんな顔しないよ?』と噴き出した。
「っ、なんだ」
「何じゃない。ちょっと色見たいから、つけさせて」
「断る!」
「なんで? ちょっとだけだから、いいじゃん」
「よくないと言っているだろう!」
家を出る前、散々穂澄に言われたものの、やはり口調を真似ることはできなかった。
悪いが、そこまで自分は器用じゃないんだ。
がんばれるはずもなく淡々とその旨を伝えると、穂澄は苦笑しつつも『里逸らしいね』と笑った。
「だいたい、どうしてあれほどベタベタするものを付けていられるんだ。理解しかねる」
「着飾ってかわいいかわいい言われるために決まってるでしょ?」
「誰のためだ」
「そんなの、里逸のために決まってるじゃん」
さらりと真顔で言われ、何も言えなかった。
穂澄はいつも、ストレートに言う。
臆することもなく、意図するでもなく、ただただ素直な気持ちだと言いながら。
それが心底嬉しくはあるが、まぁなんだ、その……今のはまるで、俺が言わせたセリフのようじゃないか。
気づかなかったが頬が染まっていたらしく、指先で撫でた穂澄はなぜか嬉しそうに笑った。
「つやつやの唇、見てるだけでキスしたくなるでしょ?」
「別に、着飾ってなくても穂澄は穂澄だろう。いつと考えることなく、身体は動く」
「…………」
「……なんだ」
「何じゃないってば。それってなんか、エロい」
「っ穂澄!」
ついいつもの癖で名前を読んでしまい、慌てて口を押える。
どう考えても、“穂澄”は自分だ。
かといって、自分の名前を呼ぶわけにもいかない。
ああ、面倒だな。ジレンマとも違うわずらわしさは、どうすればいいんだ。
「ま、里逸が嫌ならいいけど。自分で試すから」
「なっ……!」
「ああ、しかしそれでは色がわからないな。肌の色が違いすぎる」
「……穂澄……!」
「穂澄は色が白いから、このボルドーはよく映えると思うぞ」
にやにやと笑っているわけでなく、淡々と話す様はまるで自分のようで、ひどく心地が悪い。
あえてやっているだろう、お前は。
「俺が合わせてやりたい。いいだろう?」
だめに決まっているだろうが。
今は出せない低い素の声で言えたら、どれだけいいか。
お前はなぜそれほど“俺”を演じられるんだ。
言わないだろうが、言いそうな気がしないでもない言葉を並び立てられ、まさに閉口するしかなかった。
「っ……だ、から……」
「いい色だ。穂澄によく似合う」
お前は何を考えているんだ!
口紅のチップを取った穂澄は、俺の顎に手をかけるとにっこり笑った。
そんな笑い方は、きっとしないと信じたいが、ここまでコピーされるとよくわからなくなってくる。
だが、いつの間にか睨みつけていたらしく、しばらくするとおかしそうに肩を揺らした。
「少し顎上げて。ちょっとだけだから」
声は違うが、話し方は間違いなく穂澄。
そのせいで拒否がつい和らいでしまい、あ、と思った瞬間顎を引き寄せた。
「っ、うぁ」
「ああやっぱり、いい色。伸びもいいし、CMどおり」
指に取った口紅を直に塗られ、妙な感覚に声が漏れる。
やはり慣れることはないな。
いくら満足げに笑われても、このべたつく感じは俺には無理だ。
「……やはり映えるな」
ふ、と笑った表情は、たまに自分でも意識してはいないがすることはある。
穂澄は、それが普段のピリっとした感じとはまるで違って、好きだとよく言う。
こんなに緩んだ顔をするのか。
普段、鏡を見ているときは決してすることない顔だけに、穂澄には――好きな相手にはこんな顔ができるのかと、少しだけ驚いた。
「キスしたくなる」
「っ……馬鹿かお前は……!」
「馬鹿で結構」
「俺で言うんじゃない!」
苦々しげにつぶやくも、穂澄はまったく気にもしない様子で口紅を戻し、今度はその上の段にある化粧品へ手を伸ばした。